ユカリンゴリラの成長日誌

ADHD(発達障害)診断済、26才OLの啓発日記。

英語とヨガアプリ継続1週間、アプリって便利だなあ。

こんにちは、ユカリンゴリラです。

 

最近は秋の気候になり、風が冷たくなってきましたねえ。ああ幸せ。

ただ紫外線は多い季節なので日焼け対策は皆さん怠らないよう気を付けましょ!

 

前回の記事 で

 

moonkid.hatenadiary.com

 

「デイリーヨガ」を紹介しました。

無料で基本的なポーズをできるのでお金をかけずに気軽にできます。

ただ、一人だと気を付けるべき点がわかりにくいので初心者で始める方は絶対集団型のヨガスタジオで半年くらい学びに行ったほうがいいと思います。

先生がここを気を付けて~とか指摘してくれる分、客観的なポーズの取り方を学べるのでいきなりアプリからだと難易度高めかもしれません!

 

無理なく1週間続けられています。

 

そしてもう一つ、いつもどおりブログサーフィンをしているとブログサーフィンしているとアッサム様の記事にて素敵なアプリを見つけました!

lifeiscolourful.hatenablog.com

何より気軽に楽しく学べますし15分もあれば1レッスンが終わります☆

今は1週間の無料期間をようやく終えるころですが継続してやれています!

詳しくは上記記事で、イングリッシュスタディアプリの何がいいのかすごくわかりやすく書いてあります!ご参考ください(^▽^)/

 

継続にはやはり楽しさと習慣化が大事ですね・・・!

 

アプリって気軽で今や無料でも良アプリありますので、便利ですね☆

まだまだお勧めアプリありますのでまた、次の機会に・・・(*'▽')-☆

 

人を人を愛せない、正しくは人間関係が築けない

こんにちは、3連休の最終日ドトールで一人まったりハニーカフェオレを啜る日になりました。

 

小さいときから人に愛されたい、愛したいと思う一方で、人との関係を築くことの難しさに悪戦苦闘し、今はだいぶどうでもよくなってしまった。

 

なんで恋愛も友人関係もうまくいかないんだろうとない頭を捻らせてずっと悩んで、あるときは書籍にすがった。

 

でも全ては私の家庭環境と、ADHDという発達障害のせいだと悟ったのです。

 

悟ったところで解決にはならないんですけど。

 

普通の家庭を望む一方でふつうってなんだろうって、だってうちの家庭が普通じゃなかった。父は幼い頃から忙しく、構えない代わりにお金を私に託した。父なりの優しさなんだろうけど時間はお金で買えない、むしろそれは私の心を蝕んだ。人間関係のいろはを教えてくれる人もいなかった。母は私のためだといって世間体や人に迷惑をかけないことに必死だった。そんな家庭がいやで必死で反抗したけれど、結局親の手のひらの上で踊らされていた人生だった。

 

そんな私は絆や人間関係を築き方がわからないまま大人になった。

 

人の気持ちがわからずいろんな人を傷つけたしめちゃくちゃにした。とっても後悔している。もし戻れるならすべてをやり直したい。

 

そんな私でも今ネット上で会った彼氏がいる。

とても優しいし、怒ったりしない。

でも彼はいつでも一緒にいたがるし、どこへ出かけるかも聞きたがるし、べたべたしたがる。人並みにエッチだってしたいと主張することもある。

私がテーブルにいるとテーブルに来て、ベッドで横たわると近づいてくる。

 

なんだかとってもうっとおしいのだ。

 

家のこともやってくれるし、私のことを喜ばせたいといろいろしてくれる彼は側から見たらいい彼氏さんだ。

 

きっと私がおかしいんだと思う。

だって尽くされることってありがたいことなのに、それが迷惑だと感じているんだから。

 

私は普通の家庭を築きたくて焦っていた結果、自分の気持ちや性質を見失っていた。夢物語を描いていた。

 

もういいのだ、わたしは結婚にも恋愛にも向いてないんだから、さっさと腹くくって一人の道を歩めばいいんだ。また一人を犠牲にして。

 

本当に懲りない奴って思われるんだろうなぁ。

本当に好きだと思えた人は思い出の中

少しロマンチストなことを今日は記事にしてみます。

 

夢って本当に不思議ですよね。

 

幸せな夢、

怖い夢、

 

ときどきそれは、現実的不可能を叶えてくれたりします。

 

今日は最近は少なくなってきましたが、

夢で永遠に見る

小学校の時に好きだった人と仲良くしている夢について語りたいと思います。

 

まず、夢とは

ゆめ
【夢】
 
1.
眠っている間に、種々の物事を見聞きすると感ずる現象。
 「―を結ぶ」(眠る)
2.
現実がもつ確かさが無いこと。
はかなく、たよりがないこと。
 「―の世」
現実を踏まえない甘い期待。
 「すっかり―に浸る」
3.
現実のあり方とは別に心に描くもの。
将来実現させたい希望・理想。
 「歌手になる―」
《多く「―の」の形で》現実を忘れてうっとりするような、すばらしいもの。
 「―の超特急を走らせよう」
4.
《「―にも」などの形で、打消しを伴って副詞的に》たとえ夢⑴の中であろうと。少しも。決して。
 「―にも思わない」

ネットで意味を調べると上記だそうです。

 

そして「未弐の夢占い」さんで素敵なことがかかれていました。

【会う】…(夢の中で実際に)会っていること。魂の交流。※睡眠中、人は生死を問わず多くの霊魂と面会している。「夢を共有する」ことがあり、これから出会うソウルメイトと夢の中で出会う場合もある。初めて会ったのに親しみを覚えたり懐かしい感じがするのは、既に夢の中(や前世)で会っているから。「偶然の出会い」は無く、人との出会いは全て必然。高め合う関係も試練をもたらす場合も、お互いの「学び」になるのに相違ない。◆離れている恋人や友人に会う…そのまま夢の中でデートをしたり面会している状態。相手も(覚えていなくても)同時に同じ様な夢をみている。◆会いたい人に会う・再会する…なかなか会えない人と夢の中で会っている。実際に再会する予見夢。◆会いたい人が有り得ないくらい優しかったり夢の様な再会を果たす…再会したい願望の表れ。 

 

夢でも会っている、夢を共有している…そして実際に再会する予知夢…ロマンチックじゃないですか?

 

実は小学校の時の私はADHDが爆発してかなり陽キャでした。男の子から好意を寄せられることも少なくなかった気がしてますw

そんな中、クラスでも人気で明るくて面白くて、純粋で優しい男の子から面と向かって「2年のときからお前が好きだった(当時小学5)」って言われた事に、「何言ってるのばか!w」みたいなのであやふやにしちゃったんですよね。なーんてオマセさん。そして3年間の片思いなんてすっごく誠実じゃないですか?!…でも私は私はちょっとした出来事で(その男の子とは別のことで、多分前からあまり好かれてなかったんだと思います)女の子にいじめられ、そこから陰キャラ(表は明るく振る舞ってる)人生になり、その男の子とも疎遠になってしまいました。そんな時に話しかけてくれる優しい女友達とかその男の子とかもいたけど…私は人生が終わったみたいに人との話すのを拒絶してしまいました。。もったいない。。ばかな私。

そして中学は別の私立中学に行き、今その時のメンバーとの交流は全くなくなってしまいました。

でもそんな中、高校の時に一回だけ地元の高校に通ってた彼に出会うのです。全くほかの同級生とは会わないのに。向こうから話しかけてくれました。

本当に不思議ですよね。

でもその時恥ずかしかって大した会話は交わせなかった気がします。だって、陰キャになった私は自分を自己表現するのがとっても苦手。

 

アメフトを始めたという彼は小学校のときより全然がっちりしてて、少しヒゲを生やしてて、なんとなく面影はある雰囲気でした。すっごくイケメンとかじゃないんですけど細い奥二重の瞳がいつも笑顔みたいで優しくて、おちゃらけものっぽい雰囲気は変わってませんでした。

 

あのとき、メルアドでも交換していれば、人生が変わってたかもしれません。

 

脳科学者の茂木健一郎さんのブログで24歳(2016年時点でなのでほぼ同い年かな)の女性が同じような質問をしていました。

その答えに下記のことを言っていました。

 

まずは、そのような同級生がいて、良かったですね。
小学校4年生からクラスが違っていたのに、今でもわすられない、というのは、よほどなのですね。

そして、その幼なじみが、付き合っていたり、結婚しているのではないかという「疑惑」。

心が乱れるのもわかります。

一方、こうも思うのです。その方は、とても素敵なひとだったと思うのですが、なにしろ、最後にあったのが、10歳になるかならないか。

それからの年月で、あなたも変わっているし、彼も変わっていますよね。

ということは、お互いに、存在は、生身の人間というよりは、ひとつの「観念」、「イメージ」になっているということです。

それだけ気になる存在だったら、一度、思い切って会って見るのも手だと思いますが、その時目の前に現れるその人は、あなたがイメージの中で大切に育んできた、その人とは、違う人になっているかもしれません。

もっと素敵になっているかもしれないし、がっかりするかもしれない。

いずれにせよ、大切なことは、イメージの中でこんな素敵な人、ということを大切にしている恋愛観を、現実に「着地」させることだと思います。

恋愛の対象を、イメージの中でふくらませることは、決して悪いことではありません。それは、人間らしい、想像力の現れだと言えるでしょう。

一方で、生身の人間は、日々変わっていくものです。その彼も、そして、もちろん、あなたも。

日々変わっていく者どうしが向き合うのが、恋愛というものではないでしょうか。

 

イメージの着地、なるほど。

たしかに思い出の中で思い出が膨らんで、思い出に恋してるところはあるかもしれません。

 

でも夢に出てくる彼はいつも私に楽しいひと時を与えてくれます。

 

きっと今も人のためにおちゃらけて、人の悲しみや楽しさに共感できるいい人なんでしょう。

 

もし次に彼に会う機会があるならばどんな形であれ、素敵な私になって再会できるといいなぁ、なんて。そんなふうに思います。

 

それでは、ちょっとロマンチックなユカリンゴリラでした。

なんとなく気持ちがくすぶっている今日この頃・・・ちょっと啓発でもしてみっか!

ADHD特有の衝動性で、あらゆるジム・ホットヨガスタジオ等々申し込んだ経験がある一方で、もうひとつの特性として「飽き性」という性質を持つ私はいまどの一つも続けていません。

言い訳をいうと、引っ越しもあったし、今年の3月まで職も安定していないような状況だった為、続けようにも続けられる状況じゃなかったというのもあります。

 

とはいえ、何年間〇〇続けました!なんとなくこれが自分ですみたなものもなくって、

自己表現がなかなか曖昧に感じることも常々感じていました。

 

そんな私ですが、事務仕事を今年の4月から始め、なんとなく20代後半にさしかかり、体の衰えを感じめた上に、体を動かさない仕事になったため、太り知らずだった私の体(もっと太りなさい!食べてるの?と心配されるのが常)も自然と体重計のメモリがすこしずつすこしずつ増えていっていることに気づき、「危機感」を覚えたのです。

 

でも、ジムで体をビシバシ鍛えるっていう柄でもないし・・・、ジム本当に続いたことないしなあ。そういえば、某ホットヨガでやっていたときは飽きそうになりつつも実は半年間月4日は必ず、週2回のときもあった(私的には飽きずに続けたほう)ので、結構ヨガは自分に合っていたのかなーと思いました。

 

そんなときにこれ!

毎日ヨガ (Daily Yoga)

毎日ヨガ (Daily Yoga)

  • Daily Yoga Software Technology Co. Ltd
  • ヘルスケア/フィットネス
  • 無料

 アプリ内課金の「デイリーヨガ」

 

実は前にも無料範囲内でやったことあるのですが、その時はあんまりやる気なくて目標もなくなんとなーく、やっていたので週1で気がついたときに~レベルでした。

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動画説明音楽付ききでちゃーんとレッスンできるのでかなり気に入っていたアプリ。

 

でも今は体重をこれ以上増やしてはいけない危機感と、体の疲れだるさが目立つので、

「1ヶ月目は週3回、15分レッスンを続ける」

をまずは目標に頑張る!

 

それが続けられたら、

「2ヶ月目は週3回、15分以上のレッスンを続ける」

 

それもなお続けられたら

「3ヶ月目は課金をしていろいろなメニューを週3回を継続する」

 

という流れで続けていこうと思います。

いきなり課金をしてこけてもいけないので、自分との戦いを2ヶ月は続ける。

3ヶ月目はほどなく軌道に乗れるのを想定して課金をはじめ本格的に習慣化をする。

 

自分の意志の弱さに打ち勝つ!!がんばるぞーーー!

 

仲良しってなんだろう、結局は空気の読みあいなんじゃないかなあ。

昨日「グループライン」をしていて、発言することの重さをすごく思い知った。

 

そもそもなんでこんなグループに属してしまったんだろう。

「つまりは大学のサークルのOB飲み会」のグループラインなんですけど。

 

何の事情も知らない能天気な先輩がふとしたきっかけで私を1回誘ってくれたんですけども。(すごく優しい先輩)

 

(ここから卑屈と私の最低な性格が炸裂します)

 

私結局途中でこのサークルやめてるし

恋愛関係でこじれてすごく険悪にした張本人だし

サークル部長と副部長の結婚式にすら呼ばれていない必要のない人間が

迷い込んだ野良猫のように懐かしさという餌にひかれいったものの。。。

 

コミュ力も無い私が参加したところで場を空気乱すだけなのに・・・!

 

一応、普段自発的に発言しないのでちょっと発言してみたけど

既読4とかなってるのに発言しているのは1,2人だったり

私の意見に対して「いいかも~」とか控えめ同意はありましたがみんなリーダーがOKするのを様子をうかがっている静寂を感じました。

 

人数が多いほど空気を読む必要があるグループライン…恐ろしや。

 

そのあとなんで発言してしまったんだろうと謎の自己嫌悪に陥りました。

 

でもこれってなんか女子同士の会話でも感じる不思議な威圧感だったなあ。

同じタイミングで目を見合わせて高笑いして、「わかるぅ~」とか

なんかちょっとネガティブな発言したり逸脱すると平気でそのグループからおいて行かれてしまう。

 

まあその人たちからしたらそれに混ざれない自分が異端者なんだろうけど。

 

空気読めない私からしたら生きづらい世の中だなあ。

人間の狂気

前回の投稿で

いいこをやめようと宣言した私。


そして、カインという本にはこんな奇妙なことがいてあった。「人に迷惑をかける練習をしよう」と。


必要以上に周りのプレッシャーを感じることなく、優先席も堂々と座ったり、ドトールやスタバでも片付けずにテーブルの上に物をゴミや食器を置きっぱなしにしたりと、一般的には悪と呼ばれる行動をしろと言うのだ。


私にとっては、奇妙以外のなんでもなかった。

親には人には迷惑をかけるなと言われ、大抵の啓発本だって、ありがとうを言おう、人の喜ぶことをしよう、徳を積もう、そんな言葉が蔓延る世の中だというのに。


あえて逆のことをしろと書いてある。


まさか、これが正しい姿と書いているわけではないと思う、けれど私たちのような「いいこ」が染み付いている人々にとってそういったことをすることでいいこから抜け出す訓練ができるというのだ。


まさに目から鱗とはこのことのようだった。


私は恋人が好き(なはず)だけれど、鬱陶しくて嫌いだ。みんな自分の良いようにあなたのためだといって結局自分の自己満足を満たしたいだけなのだから。

なんでそんな冷酷なことがいえるのかと反論があるかもしれない。

なんで人の優しさをそんなうがった見方で無下にするんだと言われるかもしれない。


でも私にとってはそういった優しさや褒め言葉に気持ち悪さや恥ずかしさを感じる。

なんでかというわれると幼少期に親が私に褒めたことはテストの点数しかなかった。

容姿だったり私の個性については興味がなかった。またどんな人と付き合っているかそんなことも興味がなかった。わたしが父親や母親と近い年齢の人たちと付き合っていようと…


その話はまた追々語るとして、

私は普通になりたいと願いながら、私はその普通からみるみるうちにに逸脱し、堕落し、壊れた私といいこの私の2つの顔を持つようになった。


大人になった今も発作的に苦しくなることはあるけれど、ある程度自分の気持ちを落ち着かせることができるようになった。


今日も会社に出社し、おはようございます、とニコニコと”いいこ”な私が上司を迎える一方で、帰ってから恋人の相手をするのが億劫だと一人にしてほしいと嘆く自分がオセロのコマのように背中合わせしている。


そんな自分の一貫性のなさに気持ち悪さを感じつつも、これが自分だ仕方ないと認めるしかない。


そう、これが自分なのだから。


ここ数日の鬱々とした気分の訳

この1週間ずっと 胸がズキズキした。

 

まるで重たいものが袋にどんどん詰め込まれ千切れそうな思いだった。

別に大きな出来事はなかった。

 

家で彼氏と過ごしていて、偽善的な優しさにありがた迷惑さを感じていた。

 

仕事の悪気のないミスを少し責められて落ち込んだことはあった。

 

そうした小さいストレスが溜まって、、、

重さに耐えきれず、ベッドの中に沈んでいた。

 

とある、ブロガーさんのおすすめで『しんさいニート』という本を知った。

 

しんさいニート

しんさいニート

 

 

とりあえず、好きな思想な人の本だし、元気ない今も漫画なら読めそうな気がしたので読んだ。

その中で出会った心理カウンセラー芥川氏の存在がとても気になった。

実際そのブロガーさんはカウンセリングに実際行く行動力を発揮していた。

私も気になってはいるが、今はそこまでの元気がないので芥川氏のコラムをみていると『「カイン」を読んで「山谷梨沙」を見に行く』と言う題名のコラムがあった。

カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)

カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)

 

 カインは中島義道氏の哲学本だけど手紙調で語りかけるように書いてあり非常に読みやすかったです。まだ読破していませんが。

 そして、芥川氏がコラムで『ぜひ、皆さんお読みになって下さい。とは言えません、言いません』と書いていた理由がわかりました。

とてもいわゆる“一般受け”する内容ではなく、穿った見方と思わせる内容が書かれています。それなのに、まさに小学生時代から今の今まで悩み抜いた自分そのものでした。

自分なりに親に反抗したことはありました。そうだとしても結局無意識に親の望み通りの自分になろうと結局手のひらで弄ばれている自分に気付かされたのでした。

私は中島氏のように秀才でもなんでもない、ただの凡人な分、何も誇れるものはないけれど人を喜ばせることを無意識に選択してしまう「いいこ」であることが痛いほどに理解したのです。でも「いいこ」を辞めて実態を晒した時、人は友達だろうとなんだろうと平気で連絡を途絶え私の前から消えて行くのです。

 

小学校からの友達も私の素直な辛い気持ちを打ち上げ続けたら逃げて言った。

あるときはストーカーに追われ匿ってほしいと言ったとき私にはどうしようもできないと断られた。

どちらのケースも身を守るために仕方なかったとは言え、満身創痍ですがる思いで勇気を振り絞った私からしたら裏切りの恐怖を植えつけた。(分かっている相手も自己防衛のためだと分かっているけれど・・・)

 

ただ、私が今するべきなのは「いいこ」を辞めて、

世間一般の「いい人」を演じつづけることをやめる。

親と決別する。

孤独を恐れない。

生きている理由を求めるために生きる。

 

生きるだけで偉いんだ。死を選んだ人は怠惰である。

 

 

彼氏とも住むことも、別に嫌いじゃないんだけど

「仲良くしようね」みたいな雰囲気に嫌気がさしてきている

まるで私は仲良くできていない悪い人だから。

どこ行くの?とか何してきたの?とかそんなのいちいち話すのってどうでもよくない?

私頭おかしいのかな。でも自分の心がそう言っている

 

一人にしてほしいと。

 

でも一緒に住むのを選んだのも私。

 

本当に無責任だよ。

 

ADHDなんだから、みんなほっといてくれよ。

めちゃくちゃな文章ですみません。

 

では。