ここ数日の鬱々とした気分の訳
この1週間ずっと 胸がズキズキした。
まるで重たいものが袋にどんどん詰め込まれ千切れそうな思いだった。
別に大きな出来事はなかった。
家で彼氏と過ごしていて、偽善的な優しさにありがた迷惑さを感じていた。
仕事の悪気のないミスを少し責められて落ち込んだことはあった。
そうした小さいストレスが溜まって、、、
重さに耐えきれず、ベッドの中に沈んでいた。
とある、ブロガーさんのおすすめで『しんさいニート』という本を知った。
とりあえず、好きな思想な人の本だし、元気ない今も漫画なら読めそうな気がしたので読んだ。
その中で出会った心理カウンセラー芥川氏の存在がとても気になった。
実際そのブロガーさんはカウンセリングに実際行く行動力を発揮していた。
私も気になってはいるが、今はそこまでの元気がないので芥川氏のコラムをみていると『「カイン」を読んで「山谷梨沙」を見に行く』と言う題名のコラムがあった。
カインは中島義道氏の哲学本だけど手紙調で語りかけるように書いてあり非常に読みやすかったです。まだ読破していませんが。
そして、芥川氏がコラムで『ぜひ、皆さんお読みになって下さい。とは言えません、言いません』と書いていた理由がわかりました。
とてもいわゆる“一般受け”する内容ではなく、穿った見方と思わせる内容が書かれています。それなのに、まさに小学生時代から今の今まで悩み抜いた自分そのものでした。
自分なりに親に反抗したことはありました。そうだとしても結局無意識に親の望み通りの自分になろうと結局手のひらで弄ばれている自分に気付かされたのでした。
私は中島氏のように秀才でもなんでもない、ただの凡人な分、何も誇れるものはないけれど人を喜ばせることを無意識に選択してしまう「いいこ」であることが痛いほどに理解したのです。でも「いいこ」を辞めて実態を晒した時、人は友達だろうとなんだろうと平気で連絡を途絶え私の前から消えて行くのです。
小学校からの友達も私の素直な辛い気持ちを打ち上げ続けたら逃げて言った。
あるときはストーカーに追われ匿ってほしいと言ったとき私にはどうしようもできないと断られた。
どちらのケースも身を守るために仕方なかったとは言え、満身創痍ですがる思いで勇気を振り絞った私からしたら裏切りの恐怖を植えつけた。(分かっている相手も自己防衛のためだと分かっているけれど・・・)
ただ、私が今するべきなのは「いいこ」を辞めて、
世間一般の「いい人」を演じつづけることをやめる。
親と決別する。
孤独を恐れない。
生きている理由を求めるために生きる。
生きるだけで偉いんだ。死を選んだ人は怠惰である。
彼氏とも住むことも、別に嫌いじゃないんだけど
「仲良くしようね」みたいな雰囲気に嫌気がさしてきている
まるで私は仲良くできていない悪い人だから。
どこ行くの?とか何してきたの?とかそんなのいちいち話すのってどうでもよくない?
私頭おかしいのかな。でも自分の心がそう言っている
一人にしてほしいと。
でも一緒に住むのを選んだのも私。
本当に無責任だよ。
ADHDなんだから、みんなほっといてくれよ。
めちゃくちゃな文章ですみません。
では。